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◆Hawaii Judiciary Building

前回の「Hawaii State Art Museum 」に続く、ハワイ・オアフ島のマイナー観光スポット第二弾です。

 

IMG_0916.jpg 

↑ ホノルル旧市街地、イオラニ・パレスの海側にあるハワイ旧裁判所です。

カメハメハ大王の銅像が建っているので有名な建物ですが、これが実は大王本人ではなく、親友の宮廷仲間で一番ハンサムな男がモデルらしいです。
この像までは観光客も来るのですが、後ろの建物内部まで見る人は少ないらしく、ここもマイナーです。

2階の一部は現在も実際に使用しているらしく、入口のセキュリティはシッカリしており荷物は全てエックス線検査されます。ただ、たまたま私が入った時のガードのおっちゃんはカタコトの日本語でとても愛想が良かったです(チップを渡そうと思ったくらいです・笑)。

 

IMG_0925.jpg

 ↑当時のホノルル港と最初の裁判所の建物です。

古代からハワイでは「カプ」と呼ばれる戒律があり、昔のハワイ人はこのカプの取り決めに従い、自然の中で自然と共に生活してきました。

↓(カメハメハの肖像と共に古式の絞首刑の様子と道具・縄の解説があります)

IMG_0921.jpg

 

1778年にジェームズ・クックがハワイに現れ(日本では丁度ロシア船が松前藩に通商を求めて来た
    頃)、近代火器を手に入れたカメハメハが他の部族を打破りハワイ統一を果した(ハワイ王
    国)。以来、ハワイは太平洋における捕鯨船の基地として多くの船が寄港するようになる。

1819年にカメハメハ大王が没すると、翌年にはボストンから最初の宣教師が派遣される(日本では幕
    府が異国船打ち払いを命じた頃)。宣教師は「カプ」や「フラ」などを禁止した。
1840年にはハワイはキリスト教国として認定され、ハワイ憲法発布、立憲君主国(カメハメハ3世)
    となる(日本では「天保の改革」の頃)。
    この時、英国海軍ジョージ・ボーレット卿が勝手に英国領を宣言し5ヶ月間だけ君臨したが、英
    国政府はカメハメハ3世に返還した(ハワイ州旗のユニオンジャックに影響が残る)。

1848年にはそれまで個人の土地保有の習慣の無かったところへ、「グレート・マヘレ」と称する土地
    改革が行われ、結果としてハワイ人は次々と(白人によって)土地を失う事になる。
1852年には中国から労働力として移民を受け入れる政策をとる(日本ではペリーが浦賀に来航)。
1861年からアメリカ国内では南北戦争が始まり、南部の砂糖が北部へ渡らなくなった為にハワイでの
    砂糖買付けが始まりまる。
1868年には日本で明治維新となり、日本から初めての移民が渡る。

1872年にはカメハメハの血統が途絶え、1973年にカラカウア王が即位するが、この頃から王の治
    世に白人勢力が台頭し、王はただの象徴となる(閣僚のほとんどが白人になっていた)。
1875年アメリカ・ハワイ互恵条約締結。
1881年カラカウア王(4点目の写真の人物)日本訪問。明治政府最初の国賓だった。
    この時カラカウア王は日本の影響力行使を願い、「移民の要請」「カイウラニ王女と山階宮の婚
    姻の要請」「ハワイ・日本間の海底電線設置の要請」を行ったが、移民以外は実現しなかった。

 

IMG_0928.jpg

 

1887年新憲法(王は銃剣に脅されてやむなく署名、俗にいう「銃剣憲法」)制定。
1889年反乱が起こるも白人勢力に鎮圧される。
    アメリカ政府はハワイを事実上保護国化する条約を提案しハワイ人の怒りを買う。
1892年失意のカラカウア王はサンフランシスコで客死し、リリウオカラニ女王の治世となる。

1893年女王は王権を大幅に回復する新憲法布告の準備を進めるが、有力白人一派に計画が漏洩し、ク
    ーデターでリリウオカラニ女王が幽閉されてしまう。
    アメリカ海兵隊160人が上陸し、示威活動をし、日本も軍艦を派遣する。
    白人一派は「臨時政府」を設立し、女王に降伏を迫るも、女王は「臨時政府」にではなく、米国
    政府に一時的に降伏した。


1894年ハワイ共和国設立、ドール(パイナップル園の?)が大統領となり、リリウオカラニ女王は一
    市民になる(日清戦争勃発)。
1898年アメリカ・スペイン戦争が始まり、フィリッピンでの戦線のためハワイはアメリカの前線基地
    として着目される。同年8月12日ハワイはアメリカ合衆国の領土となる。

1904年日露戦争勃発。
1941年日本軍ハワイ(奇襲)攻撃を行い、太平洋戦争が開戦になる。
    日系社会リーダー約800人、米本土の収容所へ連行される。
1952年アメリカ合衆国50番目の州となる。

 

IMG_0929.jpg 

 ↑建物内部の2階は現在でも事務スペースとして使用されており、展示は1階のみ。

 

こうして年表もどきに見てみると米国は(米国に限らず)ハワイ・日本・フィリッピン・南太平洋等々に対して同時多方面に触手を伸ばして来た事がわかります。
(そして最初に乗込む尖兵が海兵隊員では無く、宣教師である点も白人勢力の常套手段と言えます)
東から西へという彼等の意欲は尽きる事くまい進し、日露戦争で日本が得た満州権益を発端に日本と太平洋戦で決着をつける事になるわけです。
(日露戦争直後から「オレンジ計画」という対日戦の準備が始まっています)

ハワイは18世紀後半からわずか100年で原始社会から産業革命後の社会へと急激に変革しました。
続く100年では、欧米列強の植民地拡張と覇権主義の波にもまれ、ついには王朝は転覆してハワイ王国という民族国家は消滅し、共和国->アメリカ領->アメリカ50番目の州と変革し今日に至ります。

ハワイの歴史を概括すると、わずか200年に西欧史の2000年が圧縮されており、独特の自然環境と共にこの点でも非常に興味深いものがあります。

 

 

テーマ : 旅の写真
ジャンル : 写真

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