◆Newyork 1982 by Kodachrome
『◆Newyork1982 by Monochrome』 http://koodoo.blog114.fc2.com/blog-entry-10.html の続編です。
コダクローム64フィルムを、NikonF2カメラに大体ASA80に設定して撮影しています。
プリントはフォコマートIc引伸機を使用して、チバクロームA2・ダイレクト・プリントの感材・処理薬品一式を当時の輸入代理店の中外薬品から直接購入して自家処理しました。
今回は約26年前に自分で処理した六つ切りダイレクト・プリントを、フラットヘッドスキャナーでスキャンしたものです。
さすがに青味が多少抜けているように感じましたので、補正してあります。
当時はまだフジのVelviaは発売される前で、コダックのEPR系が主流でした。
私自身はエクタクローム系よりもコダクローム系の発色が好みで、現像を急ぐ必要が無い場合は好んで使用していました。
いま改めて写真を眺めて見ると、フィルムの持つ粒状性と独特の発色に懐かしい想いと共に、ある種デジタルとは異なる空気感やメロウな風情が好ましく感じます。
(ポジフィルムからスキャンできればもう少し綺麗に仕上がったと思います)
<フェリーから見た、在りし日のThe world trading center building>
WTCのツインタワービルですが…ビルの案内人は、「このビルの柱となる鋼材は、米国の鉄鉱メーカーでは所要の仕様の鋼材が提供できず、日本から輸入したが、これは米国のトップシークレットだ。」とウソかホントか分からない説明をしていました(案外、本当だったのかもしれませんが…)。
まさか19年後の2001年の9月11日に、このビルが崩れ落ちてしまうとは…たとえ大型旅客機が衝突したとしても、あのようにきれいに崩れ落ちるのは信じ難い事ですし、接触していない周囲のビルも同時に崩れ落ちている事も不思議な事です…
<午後の光の中のStatue of Libertyと観光客>
911テロ以降、改修工事などの為に一般観光客の内部立ち入りが中止されていた「自由の女神」ですが、最近になって工事完了し、女神像台座までへの立ち入り見学が再開されたようです。
以前は急な鉄製の狭い螺旋階段を登って、丁度女神像の王冠部分に開けられた窓からビルのスカイラインやニューヨーク湾を眺めて下りた記憶があります。現在はここまでの立ち入りは禁止の状態のようです。
(女神像の横にポツンと写っているのはヘリコプターです)
<5thアベニュー30ストリートから見た、Empire State building>
クライスラービルと共に、アールデコの雰囲気の内装飾持つ美しいビルで、エレベーターを一度乗り換えて展望台まで昇れます。展望台からはダウンタウンのビル群やハドソン・リバー、イースト・リバーが眺められ、かっては尖塔部分に飛行船を係留できるようになっていたそうで、当時のロマンが漂っています。
WTCビルの崩壊によって再び「ニューヨークで最も高いビル」となっていますが、911テロ時にはハイジャック機がエンパイアにも向っているとのデマが流されました。歴史的価値の高い、こちらのビルが破壊されなくて良かったと思います。
そういえば…キングコングが登ったのもこのビルですね。
<マンハッタンで一番美しいと云われるアールデコの香り漂うChrysler building>
夕刻時の西日を浴びて燦然と輝く姿は美しい…頂部や壁面、内装にアール・デコの装飾がほどこされており、頂部は車のラジエターグリルを使っているとか。所有はとっくに自動車メーカーの手を離れており、現在はアラブ首長国連邦のファンドに所有権の75%を買収されたそうです。
通りを走るアメ車のデザインがいかにも時代を感じさせます。
<The PLAZA Hotel 玄関前のナショナルフラッグとリムジン>
終末の金曜日ともなると、近郊や他州からアッパーミドルクラスのアメリカ人たちが家族連れで泊まりに来て、ブロードウェーのミュージカルやカーネギーホールでのコンサートを楽しんでいました。
日中は、ジーパンやTシャツ姿だった高校生などが、夕食時になるとドレスやタキシード姿になっていて、エレベーターなどで出会うと見違えてしまいます。彼らはドレスアップしてホテルのメインダイニングルームなどでディナーを楽しみ、その後は観劇やコンサートを楽しんで日曜日にはホームタウンに戻っていきます。
<Rockfeller Center前に在った、ニコンのショールーム・ウィンドウ>
ニューヨークを「Big Apple」と称していた時代です。
<31 W 57th St にある有名なRizzoli書店のショーウィンドウ>
1984年のアメリカ映画「恋に落ちて」では、ロバート・デニーロとメリル・ストリープの2人が出会い頭にぶつかり、持っていた本を取り間違えて恋に落ちる…という映画の巻頭部分でこの書店の店内が使われています。
元はイタリアの出版社だったようですが、現在は書店となり、建築や美術関係の書籍が充実しており写真集などを探すにはうってつけの書店です。
<ビルの谷間にある逆光の中のThe Stars and Stripes>
とにかくあらゆる場所に星条旗が掲げられています。(祝日でも日章旗を揚げない日本とはずい分違います)
知り合いの女性のコピーライターが、この写真に”アメリカもシワが増えた今日このごろ”とかいうコピーを付けて朝日広告賞のコピー部門賞を受賞した事があります。 かなり写真に依存した受賞だった…と(私は)思うのですが(笑)、栄誉と賞金は彼女のものとなり、私は受賞祝いでワインをご馳走になっただけでした。
<古いビルの前を走り去るモダーンなビジュアルを載せたバス>
古いビルの窓を塞いで、そこに陶磁製の人形を飾っています。
その前を通り過ぎるモダーンなバスの広告ビジュアルとの対比が面白いと思いました。
<(当時は)新しい街SOHOにある画廊のショーウィンドウに飾られた一枚の老人の絵>
厚塗りの絵の具と、顔の左右非対称の表現が、老人の内面の複雑さを表しているのだろうか…
ハリー・ホイットニーはWhitney Museumの創設者の息子で、 ソロモン・ロバート・グッゲンハイムはGuggenheim Museumの創設者ですが…凄い名前のギャラリーですね。
<Cooper union近くの壁面に張られたポスター>
<Broad way(E8th・st)に面した酒屋のショーウィンドウ>
商品を重ねる展示が面白いなと思いました。
<NY郊外ショッピングセンターのVWバンの中の姉弟>
New Jerseyのショピングセンターの駐車場のVWバンの中で待つ、少しブスくれたお姉ちゃんと、頭足を逆さまにした弟。
<Fisherman’s marketのカフェテラスで最後の夏の日を楽しむ人々>
NY郊外Montaukは昔は捕鯨で栄えた町。今はミドルクラスの保養地としてニューヨーカーに親しまれている。
<夕暮れの路上をゆくモーターボートとジョガー>
NY郊外のSouth Hamptonは池田満寿夫氏も住んでいる、アッパーミドルクラスの町。
<晩秋の乾いた空気の中で飲む、Jin&lime soda>
お疲れさん…と飲む、Metropolitan Museum の近くにあるAmerican Stanhope Hotelのバーのカクテルは美味しかった。
◆パソコンから簡単にインクジェットプリンターで印刷するプリントはずい分良くなりましたが、それでも銀塩(シルバー)プリントの連続諧調とは似て非なるものです。
薄暗い暗室の中でJAZZなど聴きながら、時間が経つのも忘れてひたすら現像液の中から現われる画像を見つめて過すのも楽しいひと時です。
<Leitz Focomat・IC Enlarger>
チバクロームA2・ダイレクト・プリントの補正値は、ネガプリントに比べて少ない値でした。
◇35㎜版のモノクローム小型ネガは鮮鋭度や粒状性を考慮して、出来るだけフラットで薄いネガに仕上げる事が多いのですが、散光系の引伸機ですと眠い調子になってしまいます。その点、集光系のFOCOMATはロールフィルム小型のネガからメリハリのあるプリントを創ってくれます。
ネガのキズやゴミにも容赦ない引伸機ですが、プリントの隅々にまで銀粒子の美しいかたちをシャープに表す精度はFOCOMATだけのものです。これは他の引伸機には無い精度で、そうした引伸機は(ある意味扱い易い)散光系に逃げてしまったのかもしれません。
エマルジョンを肉乗りさせる事の出来る大型シートフィルムの場合は、逆に散光系のヘッドを持つ引伸機のほうが、いかにも大きなネガから焼いたと感じる、美しいプリントを仕上げる事が出来ると思います。
コメント
銀塩写真
写真に能動的に興味を持ったときには既に時代はデジタルだったのでフィルムに対する思い入れはないですし、デジタル/アナログという二項対立的な考えにもあまり興味はないのですが、フィルムには懐古趣味で片付けるわけにはいかない良さがありますよね。情緒があるというか。デジタル写真は情緒よりも正確な情報という方向。(デジタルカメラを使い始めたときに感じた「鮮明なんだけどツルンとしてて、なんかちょっとだけつまんないなぁ」的な違和感のようなものを憶えています)それと関連して、フィルムだとたとえプリントしなくても「写真も一つのモノなんだな」って感覚がありますね。フィルム写真に感じていたような情緒をデジタル写真の中に見出せるような感性を、我々はこれから作って行くんでしょうかね?
Re:銀塩写真
そうですね…デジタルは正確なデータさえ確保しておけば、画像処理によってそれぞれ個性的な特色を打ち出していけるのではないでしょうか。Joseph Kさんの創作写真を拝見するとそちらの方向では既に個性的で独創的な世界をお持ちのようですね…。
フィルムの場合は、あらかじめ特性が決まっていてカラーなどの現像はラボ任せでしたから…撮影段階での操作に主眼が置かれていましたが、デジタルですと後処理が自由自在に出来る反面、撮影段階での工夫が多少疎かになる傾向はあるかもしれません。
>フィルムだとたとえプリントしなくても「写真も一つのモノなんだな」って感覚がありますね。
↑この感覚は意外でしたし…確かに、言われればそうなんだ…と思いました。
銀塩写真、特にモノクロームの現像・プリントなどでは、撮影時とは又違った発見がいろいろとありまして、それがモノクローム写真の撮影にフィードバックされたり、写真の質を高める方向に行ったと思います。
デジタルの場合も画像処理ソフトで写真の本質的な部分を簡単に確認したり、変化させる事が出来ますが、それが撮影(最終的な写真の質の為に)にどの程度フィードバックされるのか…この辺りがポイントになるように思います。
それと、どうしても質は新しいより高性能なカメラしだい…という風潮もありますね。
つまり人間が写真を作る…というより、カメラが写真を撮る…という雰囲気が強いように感じます。


















