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◆オアフ島、真珠湾にある米海軍戦争記念館

◆ハワイ・オアフ島の真珠湾にある「アリゾナ記念館」は、1941年12月7日朝(ハワイ時間)の日本海軍機動部隊の航空機攻撃によって沈んだ戦艦アリゾナの戦没将兵1100人を慰霊する記念館です。

 

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(沈んでいる戦艦アリゾナを跨ぐように設置されている記念館は、日本の靖国神社のような神殿は無いが奥に祭壇が祭られている。地上のセンターからここまでは米海軍のカッターによって送迎されるが、案内する水兵は陽気に振舞っている。基本的に見学は無料だが、ここに案内される前に真珠湾攻撃の短編映画を見せられる。日本人観光客の姿は少なかったが、ワイキキやホノルルから定期ルートバスがある。) 

 

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 ちなみに…アリゾナと共に沈んだ兵員の中にはベットに寝たままの者も居たと考えられるが、米国はそうした全ての犠牲者を「英雄」として奉っている。一方の日本では、覚悟の上の特攻隊員までもを首相が戦争「犠牲者」と称している。双方の国の戦争観が端的に示されていて興味深い。

 

 

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 (上下二枚とも、借用イラスト画)

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この攻撃が丁度日曜日の朝7:55から突然開始された為に、「日本軍の騙し討ち」として米国民の対日感情を硬化させ(リメンバー・パールハーバー)、米国が第二次世界大戦に参戦するきっかけになっと言われています。

当時の日本がなぜこのような先制攻撃を実行せざるを得ない事に至ったのかの説明は省きますが、日米は支那大陸での航空戦(米義勇部隊、フライングタイガース)などで不正規ながらも既に交戦状態でもありました。

 

★また…日本政府は、ワシントンDCの日本大使館に対して、真珠湾攻撃の30分前に米国務省に対し日米外交交渉の打ち切り(最後通牒)を通告するように指示していました。しかし当時の日本大使館員は壮行会と称する飲み会の為に業務をサボり、日曜日の寝坊も加わり、結果として暗号電文の解読と英文翻訳に手間取り、日本大使がノコノコと米国務省に日本政府の最後通牒文を届けたのは、真珠湾攻撃の1時間後となってしまった。

日本による「卑怯な騙まし討ち」…という観念はジャップという蔑称を契機させ、その後の日本本土爆撃(焼夷弾による都市への無差別攻撃)や広島・長崎への原爆投下へと繋がる狂気をつくり出したと考えます。

 

外務省はその後も当時の責任者を処罰する事なく、二名とも最終的には外務次官にまで昇進している事から、米国側が「騙まし討ち」は日本政府の本意ではなく大使館の失態の結果としては受け止めていません。

一方の米国側は奇襲攻撃を許したとして、米太平洋艦隊司令官のキンメル大将を処罰(罷免)しています(後に名誉回復)。

 

 

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(センター内に展示されている日本海軍空母「赤城」37000tの模型。攻撃には6隻の空母が参加した。)

 

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(水深の浅い真珠湾内での攻撃の為に特別に用意された日本海軍の航空魚雷。97式艦上雷撃機がそれぞれ一本づつを機体に吊るして、米戦艦に突っ込んだ。)  

 

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(センター内の庭、湾内左に戦艦「ミズーリ記念館」、中央に「アリゾナ記念館」が見える。)

 

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(当時の米艦艇の停泊図と赤で示された大破した艦艇の表示。しかし大破・横倒・火災などの破損艦艇も水深が浅い為に沈没を免れたためと、日本軍攻撃機が地上のドック施設や石油タンクなどを攻撃・破壊しなかった為に、後に引き上げ修復され2隻の戦艦を除いてほとんどが戦線復帰した。米工業力の凄さ…。)

 

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(上下共に借用図。上は日本海軍機動部隊30隻が辿った航路図、真冬の択捉島の単冠湾に集結し11/26-九州の佐伯湾に帰還したのが12/24だった。) 

 

(下は第一次攻撃の侵攻図。第一波は総勢318機、第二波は336機で侵攻し両波攻撃で58機の墜落・未帰還機を出している。ちなみに第二次攻撃は検討の末に実施されなかった。)

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◆潜水艦「バウフィン号」博物館は、第二次大戦中に40隻あまりの艦船を攻撃・破壊したという米海軍潜水艦で、旧式ながら普段はめったに見られない現物潜水艦の内部が見学できます。

 

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(奥に見えるのがバウフィン号、手前は…たしか…戦没した潜水艦の記念碑。)

 

ハワイの米太平洋艦隊の本拠地に展示してある潜水艦という事は、この潜水艦が撃沈させたのは日本の艦船(40隻)だという事です。さりげなく展示されていますが、日本の戦争悲話として語られる学童疎開船「対馬丸」を雷撃したのがこのバウフィン号のようです。憎き潜水艦ですが、わざわざお金を払って見学しました。

 

☆『対馬丸記念館』  http://www.tsushimamaru.or.jp/jp/about/about1.html

 

 

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(レストアのやりすぎで金ピカにされてしまい、リアリティの無くなった操舵室。上下と左右の操舵に分かれていて三次元の動きを潜水艦はする。)

 

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(左は潜水時の動力源となる蓄電池の操作盤、これは潜水艦にしか無い装備。右は艦橋前部の甲板上の砲、対馬丸のような無防備な客船や輸送船には高価な魚雷を使わず、浮上して砲撃・撃沈させるようです。) 

 

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(多分…戦略原子力潜水艦SSBNに積まれている、トライデント核弾道ミサイルの模型?) 

 

 

 

◆戦艦「ミズーリ」記念館。1945年9月2日、日本は東京湾のこのミズーリの艦上で、アメリカ軍最高司令官のマッカーサーに対して無条件降伏の調印を行いました。この艦は第二次世界大戦-朝鮮戦争-湾岸戦争と3つの大きな戦いに参加しており。湾岸戦争ではトマホーク巡航ミサイルを搭載してペルシャ湾からバクダッドに対してミサイル攻撃を行った事で有名です。

 

湾岸戦争で日本政府が米国の要求で支払った供出金総額は135億ドルといわれていますが、米国側の報告書では100億ドルとなっており、残りの35億ドルの行方が不明になっています…。
案外…ここに使われていたりして…?(笑)

 

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(記念館としての諸施設の脇に係留されている古典的な艦影。日本海軍の戦艦に比べてスマートな横幅を持っているのは、パナマ運河の通行がやはり戦略的な意味を持つからと考えられる。)

 

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(あいにくの逆光だったが…全長は260.7m<263m>、排水量45,000t<65,000t>、4基/4軸の蒸気タービンエンジンによって212,000hp<153,553hp>からこの巨体を33ノット<27.46nt>の高速で走らせた。)<>内数字は戦艦・大和のもの。

 

 

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(借用写真:降伏文書署名の為にミズーリを訪れた、ステッキに燕尾服姿が重光葵外相、その右側の軍服が梅津美治朗大将の両全権)  

 

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(ミズーリ艦上に展示されている、降伏文書と万年筆と記録写真。) 

 

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(ミズーリの主砲の406mm<460mm>50口径3連装砲。前甲板に2基、後甲板に1基ある。朝鮮半島に289発発射したという記録が砲塔に書かれていた。)<>内数字は戦艦・大和のもの

 

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(主砲の406mm砲弾。後ろに写っているケースに入っている装薬6袋を使って42000m先まで飛ばす。)  

 

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(湾岸戦争では主砲以上の重要な攻撃兵器だったトマホーク巡航ミサイル。バクダッドに向け28発発射した。)

 

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(フライングブリッジ=露天艦橋から見る艦前方。主砲前方にアリゾナ記念館が見える。周囲は中国人観光客。)  

 

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(航海艦橋にある耐爆装甲が50センチもありそうな司令塔。艦長はここに入って戦闘指揮をとり、艦が沈む時には運命を共にするのだろうか…) 

 

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(乗員の為の食堂。「BIG MO SNACK SHOP」と書かれた売店の前で、ハイスクールらしいグループがソフトドリンクを飲んで楽しそうにおしゃべりをしていました。)

 

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(127mm艦砲・対空両用砲下のデッキで作業しているのは艦の補修をしているボランティア。運営やガイドなどもボランティアが行なっているようで、任せる海軍もだが率先して引き受ける市民も、兵器というより大切な歴史資産として戦艦ミズーリを捉えているように感じられた=米国の軍隊は国民軍という民主主義の認識が浸透しているのだろう…。) 

 

 

◆最後にもう一つ、この戦艦と日本にまつわるエピソードがある。

1945年4月11日に空母イントレピッド等と艦隊を組んでいたミズーリは、沖縄近辺海域で、爆装したゼロ戦の特攻機に後方右舷側に体当たりされました。爆弾が爆発しなかった為に特攻機の燃料による小火災だけで済みましたが、甲板上には特攻機の機体破片とパイロットの遺体が飛散したそうです。

ガイドの説明によると…水兵たちがそれをホースで洗い流そうとしたところ、艦長が勇敢なパイロットの遺骸を粗末に扱う事を禁じ、正式な水葬の礼を執り行ったそうです。ミズーリは武運に恵まれた戦艦で任務における戦死者は無く、結局、ミズーリが水葬を行なった記録はこの特攻機のパイロットのみだそうです。

 

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(借用写真:かなり有名な写真で赤い矢印のところに、今まさに突っ込もうとしているゼロ戦が写っている。結局翼端が舷側に触れてもんどりうって甲板に叩きつけられたようになった為に、舷側に多少の凹みを残しただけになっているが、展示艦にはちゃんと説明板が掲示されている。)

 

 

◆今回は、軍事に興味の無い方には、少しお腹一杯になる内容だったかもしれません。

 

こうした真珠湾の海軍戦争記念館をひととうり見て感じる事は、米国の戦争というものに対する認識のわが国との違いです。
また…悲劇の「アリゾナ記念館」から、復讐の「バウフィン号記念館」、そして日本を屈服させた象徴としての「ミズーリ記念館」…と海軍の歴史と効用とを展示し、米国民(納税者)を納得させている事です。

展示はあくまでも事実のみの?淡々としたもので、平和や悲劇や反日や反戦といったイデオロギー色は一切ありません。
ハワイは米国人にとっても観光地です。多くの米国人観光客に混じって私が一人で見学していても…日本人だから…という視線や非難は一切感じられず、ミズーリ号のガイドは日本海軍の戦いぶりをむしろ讃える雰囲気さえありました。これは、完璧に日本をやっつけた…という自信の表れでもあり、それは米国人の見学者にも共通するものと感じました。

 

64年前の今週は広島・長崎に原爆が投下され、来週は終戦(敗戦)記念日の8月15日がきます。

ハワイは現代の日本人にとっては、バカンスの為の楽園としてのイメージでしょうが、色々と日本とは関係の深いところなのですから、ゴルフやショッピングの他に、このような歴史博物館(他に民族史的な所もあります)を見学し、過去に思いを寄せることも必要ではないでしょうか…。

米国がハワイ王朝をつぶして保護領化した時に在住日本人はハワイの人口の40%を占めていたそうです。

また、日本が真珠湾攻撃を行った時にハワイはまだ米国の州ではありませんでした。

従って日米間で太平洋戦争が始まってからも…ハワイの日系人の人口が多かった為に、本土のカルフォルニアで在ったような…日系人の強制収用などの措置はとられませんでした。

 

日米同盟の基礎となっている米第七艦隊は、ハワイにある米太平洋艦隊司令部下に属しており、その守備範囲はインド洋を越えてアラビア海にまで至っています。 つまり…ハワイは米国ばかりか、日本にとってもアジアにとっても非常に重要な軍事拠点でもある訳です。

 

 

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