スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

◆政府発表は信用出来ず・・・ガイガー・カウンターを購入

4/23のyahoo拙ブログで書いた通り・・・

◆【現在進行中】福島原発に関する報道規制及び言論統制状況
http://blogs.yahoo.co.jp/koudookan/51892841.html
現政権・東電・保安院の発表は、ことごとく誤っており全く信用出来ない。

2ヶ月前にさんざん放射能を浴びていた事を、後から知らされてもどうする事も出来ない。国民・住民の安全よりも政権維持を優先している事が世界中に知れ渡り、今や日本政府の国際信用は地に落ちてしまった。

◆平和・安全信仰がもたらした人災
http://blogs.yahoo.co.jp/koudookan/51844896.html

現在の日本はIAEAによって監視され、米国・フランスによって管理されるような状況に陥ってしまっている。

民主主義国家の政府が国民を守らないのであれば…自ずと個別に自衛せざるを得ない。武器を手にするかどうかは今後の課題となるが、とりあえず今は放射能から身を守らねばならない。とりあえずガイガー・カウンターを購入した。

私自身は酒もタバコも嗜み、子供たちも独り立ちした。
従って、今更放射能を怖がる歳でもない。
何なら福島第一原発で何らかの役割があるのなら果たしても良いとさえ思っている。

現在の私は愛すべき二匹の猫たちと暮らしている。
彼らは毎朝庭に出て、太陽光を浴びビタミン補給し、草を喰んで整腸を促し、トカゲなどを捕食して野生の感性を維持しつつキャットフードと異なる蛋白とミネラルを摂取している。彼らは12年間私と共にそのように暮らして来ている。

私は彼らを庭に出す前にネットで福島原発から我が家への風向きをチェックし、近隣の「東北大学サイクロトロン・ラジオアイソトープセンター」が公表している放射能空間線量率(μSv/h)を見ている。

◆福島第一原発周辺の風向きマップ(Google Mapsタイリング版)
http://agora.ex.nii.ac.jp/earthquake/201103-eastjapan/weather/gpv/wind/
IMG_2811_R.jpg
2011/5/31午後の風向き


◆福島第一原子力発電所事故に係る放射線モニタリング情報
http://www.bureau.tohoku.ac.jp/anzen/monitoring/
IMG_2812_R.jpg
毎日いつでも0.08μSv/h…?


風向きマップは参考になっているが…東北大の放射線モニタリングはほぼ毎日同じ数値(0.08μSv/h)でどうも信用出来ない…。


そこで、チャイナメイドだが(ネットで)一番評判の良いREN200という奴を予約していたものが、昨日やっと手元に届いた。価格はAmazonで\49,800だった(GM管は米国製?)。日本製は在庫無しで、ドイツ製や米国製だと数十万円する。
経済被災者の私にはそれだけ出す余裕は無い…。


◆【主要技術仕様】 REN200

放射線検出 : X線、ガンマ線、ハードベータ線
検出器    : GM管
測定範囲   : 放射線量率  0.01〜1000μSv/h(最大10mSv/h)
: 放射線量(蓄積量) 0.01μSv〜500.0mSv
誤差      : +-15%(137CS 1mSv/h)
感度      : 80CPM/μSv/h(for Co-60)
アラーム設定 :
表示単位   : μSv/h , μGy/h , mR/h
測定値表示 : 一秒毎に表示を更新、アラームは5秒以内に反応。
使用温度 : -10℃〜+45℃
湿度      : 95%(+45℃)
電源     : 単三乾電池 2本
サイズ     : 135×70×25mm
重量      : 170g(電池含む)


IMG_2716_R.jpg
室内では概ね0.10-0.18μSv/h (この地域での通常値は0.05μSv/h程度)

IMG_2772_R.jpg
いかにも地表の放射能を集めそうな形態(長毛短足)

IMG_2792_R.jpg
食物連鎖(トカゲを食べる所)による内部被曝にも注意が必要なんだが…人間と猫の許容被爆量の差はどの程度…?

IMG_2796_R.jpg
庭では室内のおおむね1.5倍程度の値が出る

IMG_2807_R.jpg
木の下のコンクリート上では0.16μSv/h

IMG_2804_R.jpg
レンガの上では0.23μSv/h出たが、数値は刻々変化する



今日は北からの風だったが…これからの南風の季節には相当数値が跳ね上がると思われる。どうせ今でも放射能は破損した格納容器からダダ漏れ状態のはず。
アラームはとりあえず最小の累積分量で0.05mSv、分量率で0.50μSv/hにセットしてあるので…仮に福島原発で何かがあったとしたら警報が鳴るはず。

電源は常時入れっぱなしにして、風向きをチェックしていれば、(嘘つき)政府発表などアテにしなくとも異変を知る手がかりにはなりそうだ。
もっとも水蒸気爆発などで釜(圧力容器)の蓋でも吹っ飛んでしまえば…風向き次第で半径1000kmは完全にアウト(高濃度汚染)だろう…。


身辺の細かな放射線量を精確に知るのが目的ではありません。
繰り返しますが…有事を迅速に公表しない政府・東電の隠蔽体質から周囲を護る為であり、動機は為政者・当事者への徹底的な不信感です。
スポンサーサイト

テーマ : 放射能ニュース
ジャンル : ニュース

◆【続】4月6日の仙台近郊南部沿岸

前編の仙台近郊北部沿岸部に対して、南部沿岸部は救援活動の始動が少し遅れた為か、悲惨な状況が生々しく残っている。
また、現場の自衛隊・警察・消防がピリピリしており規制線も多く、それは福島県の相馬に近づくにつれて高まった。

北部三陸のリアス海岸への津波被害は一般常識として認知されているが、平坦な海岸線が続く地域でこれほどまでの被害が出るという事は、有史以来の津波災害の巨大さに改めて愕然とする。
また、平坦であるだけ津波の内陸への浸透距離が長く、"こんな所にまで"と思われる内陸にまで漁船が流されてきている。
漁業ばかりか、塩害など農業への被害も甚大だろう…。



◆仙台空港(岩沼)


_MG_1951_1_R.jpg
(滑走路から撤去され仙台空港空き地に集められた車の前で記念撮影していた米兵)

仙台空港は津波によって冠水し、滑走路を米軍と自衛隊によってC-130輸送機の離着陸に必要な1500mだけを復旧し、被災地への物資空輸の拠点とされていた。現在は滑走路を本来の3000mまで復旧され、臨時のコントロールタワーも設置され、一般の旅客機の離着陸も出来るように急ピッチで整備されつつある。


_MG_1970_R.jpg
(現在の仙台空港は、一見、米軍に占領されているように見える)


_MG_1973_R.jpg
(見慣れた建物だが…それでも急ピッチで復旧は進んでいる)


_MG_1979_R.jpg
(飛行場はきれいになり、米軍が持ち込んだ機材で管制業務が行われているようだ)



◆蒲生地区


IMG_1901_R.jpg
(飛行場に隣接する蒲生地区、奥は警察が規制線を張っているが、入口でこの状態)


IMG_1907_R.jpg
(藩制時代、伊達政宗公によって引かれた貞山運河もこの有り様)



◆亘理地区


_MG_1986_R.jpg
(なぜかタイヤが田んぼ一面に飛散している)


_MG_1998_R.jpg
(道端で吠える打ち捨てられたクマの置物…北海道旅行の記念だったのだろうか)


IMG_1923_R.jpg
(地震の後、名取川の堤防を越えた津波がこの集落をいっきに襲った)


IMG_1916_R.jpg
(見渡すかぎりの田んぼに多数の車が散らばっている)


IMG_1946_R.jpg
(貨車は流されても、線路上に残った機関車はさすがに重いようだ)



◆鳥の海漁港


IMG_1933_R.jpg
(港に面した都市公園地区で悄然と佇む、なぜか流されずに残った建物)


_MG_2006_R.jpg
(漁船二隻を受け止めた家)


_MG_2013_R.jpg
(玄関前に漁船、庭先に車の訪問となった家)


_MG_2015_R.jpg
(向こうが海)



◆山元地区


_MG_2018_R.jpg
(この地区は遺体捜索などが進行中なようで規制がある)


_MG_2026_R.jpg
(マスクと防塵メガネ着用で、規制任務にあたる自衛隊員)


IMG_1947_R.jpg
(地道な作業を黙々と続ける自衛隊員)


_MG_2024_R.jpg
(自衛隊によって拾い集められた家族アルバムなど)


_MG_2032_R.jpg
(どう見ても漁船が似つかわしくない風景)



◆相馬港


_MG_2034_R.jpg
(相馬火力発電所手前で大きく断絶した道路)


_MG_2038_R.jpg
(砂に沈んだ?発電所燃料運搬船とクレーン)


_MG_1951_R.jpg
(美しい釣桟橋の松川浦大橋は、神奈川県警<派遣>のパトカーによって侵入封鎖)


_MG_1954_R.jpg
(実力組織総動員=沖合には巡視船、並べられた自衛隊の重機、侵入規制する警察官)




(了)

◆「3・11震災」4月5日の仙台近郊北部沿岸

諸般の事情で自由に動けず、ガソリンも入手が難しい状態でしたが、それらの事情が解消されつつあるので、「遅ればせながら」3.11から25日経過した仙台近郊を撮影して廻りました。

4月5日は北側沿岸の仙台港-七ヶ浜-塩竈-松島-野蒜までを、4月6日は南側沿岸の仙台空港(岩沼)-亘理-山元-相馬までを取材してきました。

被災地に入るにはそれなりの規制もありそうだし、窃盗などの火事場泥棒を警戒する動きもありそうなので、プレスカード(実は期限切れ)も用意しました。経験上、首からそれらしきモノをぶら下げてそれらしき雰囲気を漂わせていれば(自信アリ)、そうそう細かくチェックはされないものです。

引退を決め込んでいた老体?の自主的な職業意識による些細(ささい)な現状報告です。


◆仙台港

_MG_1851a_R.jpg
(一体、何台の車が絡みあっているの…仙台港産業道路の街路樹帯に堰き止められた被災車両)


_MG_1852a_R.jpg
(一枚目の現場を引いて撮ったもの…道路を隔てて僅か数十m先のショッピングモールのメリーゴーランドは無事だが、何か虚しい)


_MG_1868_R.jpg
(いつもは家族連れや釣り人の憩いの場だった公園のデッキウォークも津波によってほとんどが流され崩壊した)


_MG_1859_R.jpg
(最近操業を始めたばかりのトヨタ系列会社によって生産組み立てられ、車両運搬船に船積される直前に、津波によってボコボコにされ鉄屑化された新車の群れ)


_MG_1873a_R.jpg
(ヤードのクレーンを押しのけて陸揚?げされた貨物船)



◆七ヶ浜漁港


_MG_1930a_R.jpg
(滑稽なほど絶妙なバランスで鎮座する屋根上の漁船)


_MG_1936_R.jpg
(一見建残って見えるがボロボロになった港の住宅。地区は全滅)


_MG_1943a_R.jpg
(翩翻と翻る日の丸は漁師の復興への意地か…)



◆野蒜地区


_MG_1876a_R.jpg
(東松島・成瀬川河口付近にある野蒜は海水浴場として親しまれているが、明治政府は東北振興の拠点港として大規模な野蒜築港を試みたが台風によって突堤が破壊され、事業放棄した歴史がある。それを伝える、遠くに見える護岸上に建つ「野蒜築港資料室」も破壊された)


_MG_1886a_R_20110409094110.jpg
(この地区では現在も自衛隊や関係者によって行方不明者捜索が行われている)


_MG_1896_R.jpg
(海水が道路を破壊して田畑に流れ込んだ形跡が分かる…塩害の被害)


_MG_1902_R.jpg
(海岸にビニールシートでテントを造り、それでも海を眺める老若二人)




塩竈の石油基地はあまり被害を感じさせないほど復興し、タンクローリー車も多数動いていました。倉庫街は建物は破損し物資もほとんど波を被った状態で復興はまだ先の感じを受けました。
観光桟橋付近は観光船が打ち揚げられ、市内道路脇には打ち揚げられた船が撤去されずにそのままの状態です。

松島は五大堂が健在で、国宝・瑞巌寺も健在です。
多数の島々が消波堤の役目を果たしたのでしょうか…
商店も店舗の復旧に忙しく、早く観光地としての復活に賭けている様子が見えました。

奥松島へは途中の道が断絶しており、今回は諦めました。
(以上はビデオに収めてあります)


_MG_1881a_R.jpg
(photo by K・0)

つづく

◆連載『特攻ツアー』-7(鹿児島-鹿屋-宮崎)【海軍特攻・史料館】

 2009/9/4
_MG_6283b.jpg  (↑本当は「残暑お見舞い」かな…鹿児島・指宿のキャンプ場にて)

IMG_0835.jpg
(↑朝食を済ませ、暫し呆然と鹿児島湾?の海と空を味わう)

IMG_0837.jpg
(↑テントから歩いて僅か3分の波打ち際…ナカナカよかキャンプ場でごわした…)




◆島津家の仙巌園[磯庭園]

_MG_6292.jpg 

仙巌園は、江戸時代初期に島津光久(19代当主)によって築庭され、中国龍虎山の仙巌にちなんで「仙巌園」と名付けられた。四季折々の美しさに加え、桜島(築山/遠景)と錦江湾(池/中景)を借景に取り入れた雄大な風景が楽しめる大名庭園として有名。

_MG_6301.jpg

中国の御禊(みそぎ)儀礼を淵源とする「曲水の宴」を催した「曲水の庭」が築かれ、さらにその後ろに江戸時代中期に、中国から日本で輸入した孟宗竹を移植した場所「江南竹林」が広がっている。
高校生の修学旅行のグループが見学していた。

売店には薩摩切子の専門ギャラリーもあり、大いに目の保養をさせて貰ったが、欲しいと思ったグラスなどの値札を見るとさすがに気安く買える値段ではない。
別に島津家資料館たる「尚古集成館」もあり、廃藩置県後の島津家の苦労が偲ばれた。



◆桜島フェリー
鹿児島港と桜島港を15分で結ぶ24時間運行のフェリー。

IMG_0861.jpg
(↑これから桜島港へ向かう・同行めぐちゃん)

IMG_0876.jpg
(↑鹿児島港を出るとすぐに海上自衛隊の潜水艦「おやしお型?」が浮上し停泊していた。一般公開でも無さそうだし・・・何をしているのだろう…?)

_MG_6327.jpg
(↑あぁ!桜島や桜島…間欠的噴煙が風にのって錦江湾を渡り鹿児島市街地に降り注ぐ)


_MG_6316.jpg (↑時間帯によっては10分置きに出るフェリーが数珠繋ぎで桜島港に入港する)



◆桜島
先を急ぐ為、湯之平展望所は諦め(次回のお楽しみ)、R234沿いにある有村溶岩展望所に向かう。


IMG_0886.jpg 

_MG_6333.jpg_MG_6339.jpg
(↑二枚とも有村溶岩展望所より…生きている火山の迫力は凄い!)



◆海上自衛隊鹿屋航空基地「史料館」

1936年、海軍鹿屋航空隊は創設され、中国大陸に対する爆撃やマレー沖海戦で活躍する。
マレー沖海戦は太平洋戦争初期の1941年12月10日、陸上基地から発進した海軍航空隊がイギリス東洋艦隊を攻撃し戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と巡洋戦艦「レパルス」を撃沈した海戦である。
洋上を航行する戦艦を航空機がはじめて討ち取った海戦として有名である。
当時のイギリス首相チャーチルはこれほどのショックを受けたことはなかったとその回顧録のなかで記しているが、それほど世界を震撼させ赫々たる武勲ある海軍鹿屋航空隊も、ついにアメリカ軍の沖縄侵攻により特攻出撃の基地としての任務を担うこととなる。

現在、鹿屋基地から出撃し特攻戦死した908名(うち海軍は775名)中、遺族の許可を得た775名の遺影が鹿屋航空基地史料館に展示されている。最年少の隊員は16歳。今でも年間10万人以上が史料館を訪れているという。



siryoukan_sky.jpg
(↑借用写真:資料館全景、右側に現役の海上自衛隊鹿屋航空基地がある) 
 

鹿屋基地史料館は、旧海軍航空の興亡の軌跡及び、戦後の海上自衛隊の歩みとその中で活躍する隊員の姿を伝えることにより、国を守ることの意味を理解してもらうために以下のテーマを元に開設しました。

◇海軍を含めた鹿屋基地の歴史、施設及び部隊等の変遷に関すること。

◇海軍の戦史資料及び海軍航空の資料、文献、航空部隊及び基地等に関すること。

◇海軍特別攻撃隊に関する資料及び文献に関すること。

◇海上自衛隊航空部隊の歴史、装備品等の変遷、任務、組織及び活動状況等に関すること。
                                                              <史料館解説より>



_MG_6346.jpg
(↑鹿屋の一つの目玉たる旧帝国海軍の二式大艇・Nikon F6<最後のFilmニコン>を持つめぐちゃん)


二式大艇は、日本の航空・製造などのあらゆる技術を集結して設計・開発した世界一の高性能を誇った大型飛行艇です。昭和15年(1940)12月、最初の試作機が完成・初飛行し、昭和17年(1942)2月に旧日本軍に正式採用されました。大型飛行艇としては前例のない長大な航続距離と高速性能を誇り、戦後二式大艇の調査に同乗した米海軍のシルバー中尉がその高性能に驚嘆して「日本は戦争には負けたが、飛行艇では世界に勝った!」と賞賛の言葉を送ったのは有名な話です。

昭和20年(1950)11月、最後の二式大艇が香川県にある旧日本海軍宅間基地から、横浜まで空輸されました。本艇の高性能に注目した米海軍が、本国に持ち帰り性能試験を行おうとしたからです。しかし、その後ただ1回の飛行試験を行っただけでこの最後の二式大艇はバージニア州ノーフォーク海軍基地で長い眠りにつきました。ところが、戦後30年経過した昭和53年(1978)6月、米海軍省は、経費削減から「具体的な取り引き計画が示されない限りスクラップにする」ことを表明、この報を受けた船の科学館の笹川良一初代館長は、資金提供と船の科学館での受け入れを表明、昭和54年(1979)7月、二式大艇は日本に帰還し、船の科学館にて本格的な復元作業へと始動していきました。そして平成16年4月24日、船の科学館から海上自衛隊鹿屋航空基地資料館に移され展示されました。

終戦時までに131機の二式大艇が製造され、本艇を輸送飛行艇とした「清空」が36機製造されており、総合計167機が製造されました。ちなみに展示されている二式大艇は第426号機と記されており、昭和18年(1943)製造の第26号機と推察されます。
<史料館解説より>


_MG_6348.jpg
(↑戦後も飛行艇製造の伝統は受け継がれ<許され>、新明和工業が開発し、海上自衛隊が使用する飛行艇US-1が史料館野外に展示されている)


US-2_-_nd751236.jpg
(↑借用写真:新型US-1A改飛行艇試作2号機の飛行、通称US-2)



_MG_6359.jpg (↑そして二つ目の目玉たる復元された、「零式」艦上戦闘機五二型)


平成4年、2機の零戦が鹿児島県の錦江湾と吹上浜の海底から引き揚げられた。
この二機の機体をともに補う形で1機の零戦として修復された実機が展示されている。
修復には隊員の熱意と、多方面の協力が注がれ、新史料館に展示されることになったが、2機の零戦の発見と新史料館の建設は「運命的」であると海上自衛隊は述べている。

名称未設定 1のコピー (↑見事にレストアされた操縦席と栄21型発動機)

名称未設定 2のコピー
(↑借用写真:引き上げられた零戦の修復には自衛隊員と三菱重工技術者によって、鹿屋工作所で行われた)


◇こうした戦争の史料や遺産は基本的には国家によって保存・修復・管理され、広く一般に公開されるべきものであると思うのだが、これまで政府はあまり熱心ではなかった。
310万人もの国民を犠牲にし、3年9ヶ月に亘って最後は60ヶ国近い国を敵にまわして戦った我が国の戦争の記録はもっとあらゆる角度から保存・展示されるべきである。
民間の戦争博物館・記念館・平和館に展示されている史料はいずれも錆びて朽ち果てた状態で展示されている武器類が多く、それが戦争の悲惨さをより一層強調する訳で、それが展示する側の狙いでもあるようだ…しかし、それでは戦争の一面しか見せない事であり人間の歴史に対する偏った見方しか生まない。

少なくても我々の祖父や父や兄はこうした武器を手に、唯一の命を賭して戦ったのである。
であるならば、我々はこれらの遺品や武器に対してもっと敬意を表するべきである。
その点において、さすがと言うべきか鹿屋史料館の前大戦の展示品は零戦に限らずどれもが一応の手入れがなされた上で展示されているのは好感が持てる(海外の先進国の展示は全てそうだが)。

勝った戦争は評価し、負けた戦争は愚かとだけ決め付けてしまっては、負けた戦争から本当のものを学ぶ事が出来ず、たとえ反動の方向に動いていったとしても失敗する可能性が高いと(私は)思う。


◇今回、鹿屋の特攻史料館に来て見たいと思っていた理由として、ハワイのミズーリ記念館を見学した際に教えられた零戦特攻機の話を聞いてからである。日系人の案内人は沖縄海域でミズーリに特攻し、舷側に翼端を接触させてしまった為に、甲板上にバラバラになって散華した日本海軍搭乗員の話をしてくれた。
その零戦特攻機は九州の鹿屋基から発進した機であり、搭乗員の氏名・階級も調べたと説明された。

◇ 『オアフ島、真珠湾にある米海軍戦争記念館』

Kamikaze-about-to-hit-USS-M.jpg
(↑借用写真:ミズーリにまさに突っ込もうとする特攻機…もう5M高度が高ければ…!) 

4月11日午後、ミズーリに対して特攻機(爆装零戦)1機が低空飛行で右舷甲板に突入した。突入機の右翼は第3副砲塔上にぶつかり、燃料に引火した。艦は表面に損傷を受けたが、速やかに鎮火した。この攻撃の跡は現在も船体に残っている。突入機の飛行士の遺体の一部が40mm機銃座から回収され、ウィリアム・キャラハン艦長はこの飛行士を、名誉を持って自らの任務を全うしたとして海軍式の水葬で弔うことを決定した。この飛行士の官姓名は長らく不詳であったが、ミズーリ記念館の調査の結果、鹿屋航空基地を出撃した第五建武隊の石野節雄二等兵曹の機であったと判明した。(同時に突入した、同じく第五建武隊の石井兼吉二等兵曹の可能性もある-突入できなかった機は、対空砲火により撃墜された) ミズーリで行われた水葬の記録はこの1回のみである。<Wikipediaより> 

 

特攻の是非については現代の価値観で軽々しく述べる事は出来ない。
しかしながら、我々の今日はこうした先人の覚悟と犠牲の上にたっている事だけは確かである。
60年以上の人生を一度も国家との一体感も国民としての一体感も感じないまま終える事と、20歳にもならないまま用意された物語の上を歩まされ(あるいは進んで歩み)終えた人生と、果たしてどちらが幸せな人生であるのかの判断は(私には)意外と難しい。 その時々の与えられた人生を歩む事しか我々には出来ない。

願わくば…政治が国家として…彼らの短き人生の終焉に対する責任と感謝とを、もっと制度として明示すべきだ。


我々は約4時間近く見学をしたが、見るべきものが多くやがて閉館の時間になってしまった。
これから宮崎まで一般道を行かねばならず、鹿屋史料館を後にした。
楽しみにしていた日南の海岸は早くも黄昏ており宮崎に着く頃には完全に夜になっていた。
我々は宮崎国際ホテルで食事をし、温泉に入りしばし仮眠をとった。
本日の走行225km。


明日は(最終)姫路城…

                                          つづく


CanonEOS 5D and G10使用

【過去同連載】

連載『特攻ツアー』-6(熊本・市房山-人吉-鹿児島)【知覧陸軍特攻・平和館
連載『特攻ツアー』-5(雲仙-熊本-阿蘇-市房山)【雲仙岳災害記念館
連載『特攻ツアー』-4後編(大村湾・母衣崎-長崎-雲仙)【長崎・グラバー園
連載『特攻ツアー』-4前編(大村湾・母衣崎-長崎-雲仙)【長崎・原爆資料館
連載『特攻ツアー』-3(博多-佐世保-大村湾・母衣崎)【佐世保海軍基地
連載『特攻ツアー』-2(広島・呉-博多) 【呉・大和ミュージアム
連載『特攻ツアー』-1(仙台-広島)【広島原爆ドーム

◆ZeissのPlanarとCanonのEF・レンズ性格の差

◇古い機材や写真ばかりでアレだとは思っていますが…歳を喰うと感受性・好奇心が減退し、(新たな?)物事に対して…相対的に面倒くさくなります(特に脳内フラッシュメモリーを必要とするようなものは…笑)。

 

パソコン関連の解説書や、新しい携帯電話などの取説はほとんど読みません。読んでも何を説明しているのか理解出来ませんし、結局はほとんどが私にとって不要な機能の説明ばかりです。読まずに先ず使ってみて…知りたい事がどのカテゴリーに属するかを調べ、その事の解説を理解する…これだけでも相等苦労します。つまり私にとって…不用な情報が溢れかえっており、必要な情報は溢れかえる情報の山の中に埋もれてしまっている…そんな感じなのです。

 

◇寿司職人が刺身包丁にこだわるのは、刺身の命は「切り口」だから…とします。魚肉の断面繊維を傷めずに、尚且つその切り口の美しさが、食材としての新鮮さを引き立たせ、食欲を刺激するからなのでしょう。わが国の「刺身」という生食文化は、刺身包丁という刃物が存在したから…あるいは必要とした…という事になります。

 

つまり…食の文化が見た目を大切にしたように…写真も印象というものが重要であり、物理(光学)と化学(フィルム)あるいは工学(デジタル)を経てイメージが実態化されるわけです。

写真で表現するという事は、機材(カメラ・レンズ)を用いて対象を写し取らねばならず、それを二次元の画像として定着させ提示して、三次元以上のイメージとして拡大させたい…と思うことです。

 

◇で、何を知りたいのかというと…あるレンズを使って写真を撮っていて…そのレンズで撮った写真が自分の中で印象的に感じる場合があります。その頻度が多いと、なぜ、そのレンズで撮ったものが印象に残るのかを…理屈として知り、整理しておきたくなります。この場合…あくまでも私の「印象」なので、他者がそのレンズについて解説したものは参考にはなっても、それが私に必要な情報とは限りません。

 

前置きが長くなりましたが、こうした場合、同一条件で他のレンズと撮り比べたデータを集めてみる事になります。

 

◇たまたま…出掛けに玄関に飾ってあった花瓶のゆりの花が目にとまりました。そこで、急遽その花瓶を庭のテーブルに持ち出して、Canon・5DデジタルボディにCONTAX用のレンズとCanonのレンズを取り付けて撮影しておいたものです。

(三脚を使用していないのでアングルが微妙にずれています)

 

 

 

rts.jpg

 

IMG_5325c.jpg

  

↑ CONTAX用Planar1.4/50mmT*のF1.4(開放)で撮影

↓ Canon用EF1.4/50mmUSMのF1.4(開放)で撮影

 

IMG_5326c.jpg 

  

 

eos1n.jpg

 

◇Planar50mmもEF50mmもダブルガウス型で6群7枚のレンズ構成も同様だが、レンズ設計はPlanarは旧くEFは新しい。レンズコーティング(色)も異なる。

 

ピント面はEFのほうが安定している。Planarはマウント変換アダプターを介しているのでその影響もあるかもしれないが、レンズ元々の持ち味?のようだ。ボケ味はPlanarのほうが独特のクセのあるボケ味であり、EFは端正な優等生的なボケ味だ。Planarの開放でのボケは予測が難しく、EFは予測し易い。

 

Planarのほうの色味はコクのようなものがあり、花のハイエスライト部はとび気味に見える(飛んではいない)花瓶のガラスの発色は濃く独特だ。一方のEFは(飽和度の高い)スッキリとした透明度の高い発色に感じる。花のハイエスライト部も飛んでなく、花瓶の発色はおとなしい。

つまり、Planarの方が最淡濃度から最大濃度域が広いように見えるので、特にモノクロームなどの場合はコントラスト豊かな再現に見える。それと周辺部のアウトフォーカス部分の解像力に優れているので汚く見えないような設計になっている。EFレンズの中心部の解像度は高く、おそらくPlanarを越えているものと思われる。

 

--------------------------------------------

◇Planarの1.4/85mmとEFの2.8/100mmマクロUSMも撮り比べて見た。焦点距離も開放値も性格も異なるレンズだが、それぞれの特徴が出ていると思う。(EFに1.4/85というレンズは無いが、Planarには2.8/100mmマクロがある)

 

 

p85.jpg 

PlanarT*85mmF1.4(レンズ構成は5群6枚)

85a.jpg

↑ Planar85mmレンズで左がF1.4(開放)で撮影、右がF8に絞って撮影 

↓ EF100mmマクロレンズで左がF2.8(開放)で撮影、右はF8に絞って撮影

100a.jpg 

EF100mmF2.8マクロUSM(レンズ構成は8群12枚)

ef100.jpg

 

花の写真が小さくて、わかりにくいかもしれませんが…Planar85mmはF1.4の開放とF8に絞った時では、バックのボケも含めて描写が劇的に変化する。これは一絞り毎に変わるくらい明確な変化で面白い。対してEFはマクロレンズとして被写界深度以外は画質を極力変化させないという厳密な設計意志を感じさせます。

例えば…花瓶の肩の部分のハイライトなどにもレンズの特徴が現われています。 

 

◆CanonのEFレンズは比較的新しいレンズですが、Contax用のZeiss・Planarレンズはそろそろ20年も前のレンズになります。高性能なフルサイズ(35mm版)デジタルカメラ・ボディに取り付ける事で、レンズの特性が簡単に実写比較できるようになりました。

このように比較してみても、CONTAX用・Canon用、いずれのレンズも当然ながら遜色なく、むしろPlanarの持つレンズ特性はポートレートなどでは最新のEFレンズに優る個性を持っているようにも感じます。

良くも悪くも…日本製品は設計から製造まで真面目で高性能・高品質なものづくりが行なわれており、むしろ欠点と呼べるような部分を無くした事が欠点…と皮肉を言いたくなるような出来栄えです。

 

今回のCONTAX用レンズは設計がZeissで、製造が京セラ(ヤシカ)というものですから、レンズの設計思想というものが描写に大きな差をもたらしていると考えられます。近年になってPlanar1.4の50mmや85mmがコシナからZシリーズとして発売されたましたが、レンズ構成図を見る限り、CONTAX用と同一なようです。更にSONYのデジタル一眼レフカメラ、αシリーズ用としてもZeissのレンズがラインナップされています。コシナ製造、Zeiss設計・検査のZシリーズの購入を検討されている方にも、今回のデータは参考になるのではないかと思います。

 

車についても言える事ですが…日本車と例えば欧州車などを比べると、カタログデータや品質では明らかに国産車が優っているのですが、実際に運転してみると欧州車には国産車の画一的な感じが無く、それぞれの車種に固有のクセやファンさ(楽しさ)があります。実用(家電製品のように)として見た場合は圧倒的に国産車ですが、やはり私は車にも個性を求めてしまいます。

 

そしてその個性とは、その製造国の持つ歴史・文化・民族性など複雑・微妙に影響しているものなので、一朝一夕に醸し出せるものではありませんし、ある意味、国産車も「日本車」という個性の域に達していると感じていますので…後は好みの問題であるかと思われます。

 

 

テーマ : ★カメラ&レンズ・機材
ジャンル : 写真

プロフィール

koodoo

Author:koodoo
足跡つけていってネ…

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。